伊勢崎賢治の学歴・経歴は?なぜれいわ新選組入党?元国連職員の停戦実務家を解説

政治
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伊勢崎賢治氏は、2025年7月の参議院選挙でれいわ新選組から出馬し、見事当選を果たした政治家です。しかし彼は単なる政治家ではありません。

国連職員として世界各地の紛争地で武装解除を実現してきた「紛争解決のプロフェッショナル」として、国際的に高い評価を得てきた人物です。

本記事では、伊勢崎賢治氏の経歴と、なぜれいわ新選組から政界に進出したのか、その理由について詳しく解説します。

伊勢崎賢治のプロフィール

基本情報

  • 生年月日:1957年7月6日(68歳)
  • 出身地:東京都立川市
  • 現職:参議院議員(れいわ新選組所属、1期目)、東京外国語大学名誉教授
  • 党内役職:参議院国会対策委員長

伊勢崎氏は母子家庭で育ち、幼少期から絵画の才能を示していましたが、進路として建築・都市計画の道を選びました。この選択が、後に紛争地での平和構築活動への礎となります。

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伊勢崎賢治の経歴

学歴

伊勢崎氏の学歴は、一見すると紛争解決とは無縁に思えるかもしれません。

  • 1976年:東京都立立川高等学校卒業
  • 1980年:早稲田大学理工学部建築学科卒業
  • 1982年:インド国立ボンベイ大学大学院社会科学研究科留学(専攻:ソーシャルワーク)
  • 1986年:早稲田大学大学院理工学研究科都市計画専攻修了

注目すべきは、インド留学時代の経験です。伊勢崎氏は世界最大規模のスラムに住み込み、コミュニティー・オーガナイザーとして居住権をめぐる住民運動に関わりました。この経験が、彼の「現場主義」の原点となっています。

国際NGO職員としてのキャリア(1988-1997年)

大学院修了後、伊勢崎氏は約10年間、国際NGO「プラン・インターナショナル」の職員として、アフリカ各地で開発援助に従事しました。

活動地域は、内戦初期のシエラレオネを皮切りに、ケニア、エチオピアなど。単なる援助ではなく、住民が主体となって復興・発展できる仕組みづくりを重視し、紛争後の武装解除・社会復帰(DDR)の準備活動にも携わりました。

国連職員としての活躍(2000-2001年)

2000年3月から2001年5月まで、伊勢崎氏は東ティモール・コバリマ県で国際連合東ティモール暫定行政府の県知事(上級民政官)を務めました。

当時の東ティモールは、インドネシアからの独立を決定した直後で、親インドネシア民兵組織による破壊活動により社会基盤が崩壊していました。伊勢崎氏は行政統治と紛争解決の両面から復興を支援し、「平和構築には軍事力だけでなく、行政の整備が不可欠」という信念を確立しました。

シエラレオネでの武装解除(2001年)

2001年、伊勢崎氏は再びシエラレオネへ。今度は国連PKO派遣団の武装解除部長として、内戦終結に貢献しました。この経験により、武装勢力との交渉術や、紛争後の平和構築プロセスについて深い知見を獲得しています。

日本政府特別代表としてアフガニスタンへ(2003-2005年)

伊勢崎氏のキャリアで最も注目されるのが、2003年2月から2005年7月までの日本政府特別代表としてのアフガニスタンでの活動です。

2001年の米軍によるアフガニスタン侵攻後、新政権(カルザイ政権)の安定化が国際課題となっていました。各地で旧軍閥勢力の武装が温存され、政府の統治が不安定な状況でした。

伊勢崎氏は国連やアフガニスタン政府と連携し、旧北部同盟、タリバン系残党、その他武装勢力に対してDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)を実行。約6万人の兵士の武装解除を2年間で完了させ、カルザイ政権の安定化に貢献しました。

この実績により、伊勢崎氏は「紛争解決請負人」「停戦実務家」として国際的に認知されるようになります。

学者としてのキャリア

現場での実践経験を積んだ後、伊勢崎氏は東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授として、平和構築の分野で教鞭を執りました。また、防衛省の統合幕僚学校でも10年以上にわたって陸海空自衛隊の精鋭たちに安全保障を教えており、学術と実務の両面から日本の安全保障政策に関わってきました。

2024年には東京外国語大学名誉教授の称号を受けています。

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なぜれいわ新選組なのか?

多くの方が疑問に思うのは、「なぜ伊勢崎氏はれいわ新選組を選んだのか」という点でしょう。

れいわ新選組への決意

伊勢崎氏は会見で「残りの人生をれいわ新選組に託そうと決めた」と明言しています。その理由は以下の通りです。

  1. 避戦を貫く政治姿勢:れいわ新選組の山本太郎代表が、外交による対話と停戦を重視する姿勢を一貫して示していること
  2. 国会の安全保障議論の幼稚さ:実戦を知らない者たちによる机上の空論が横行している国会に、本物の知見を持ち込む必要性
  3. 日本の国防のため:戦争を回避する道を探求する政治家・運動家の集団を日本社会につくることが、真の国防につながるという信念

山本太郎代表も、伊勢崎氏を特定枠(比例名簿1位)で擁立した理由について、「幼稚園レベルの安全保障議論に本物を持ち込む」と表現しています。

超党派の交流から見えた「避戦」の重要性

伊勢崎氏が重視するのは「非戦」ではなく「避戦」です。つまり、戦争を否定するのではなく、戦争が起きる前の平時において、外交と対話で武力衝突を回避することです。

伊勢崎氏は学者時代、自民党から共産党まで政党の垣根を越えて多くの政治家と交流してきました。元防衛大臣の中谷元氏や石破茂氏とは、2022年のウクライナ戦争開戦直後に停戦提言を共同で作成するなど、安全保障の課題について共に行動してきた仲間です。石破氏からは「先生」と呼ばれ、敬意を表されています。

「新しい戦前」への危機感

2025年6月23日の記者会見で、伊勢崎氏は次のように述べています。

「戦争というのは突然始まりません。必ずその前があります。小さな武力衝突が散発し、緊張が高まり、国民の間にも警戒と恐怖が広がる。そうすると必ず、その恐怖を実態以上に煽り、それを得票に利用しようとする政治家が現れる。今、日本もそうです」

伊勢崎氏は、現在の日本が「新しい戦前」に向かっていると強く危機感を抱いており、この流れに抗うために政治の世界に飛び込む決意をしました。

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2024年衆議院選挙の落選とその後

実は、伊勢崎氏は2025年参院選の前に、2024年10月の衆議院選挙にれいわ新選組から比例東京ブロックで立候補していましたが、落選しています。

しかし、落選後もれいわ新選組の政策委員(外交・安全保障担当)を務め、2025年2月9日にはNHKの「日曜討論」にれいわ新選組代表として出演するなど、精力的に活動を続けました。

そして2025年6月23日、山本太郎代表から参院選比例代表特定枠での擁立が発表され、7月20日の投開票で見事当選を果たしました。

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参議院議員としての活動

2025年8月1日、伊勢崎氏は参議院議員として初登院しました。その際、「30年ぶりにネクタイを締めた。最後はアフガニスタンでカルザイ大統領に謁見したとき以来だ」と述べ、国会という場への厳粛な気持ちを表明しています。

8月6日には党参議院国会対策委員長に就任。8月5日には参議院予算委員会で石破茂首相との直接対決も実現し、安全保障の専門家としての知見を国会の場で発揮し始めています。

現在は以下の役職を務めています。

  • 内閣委員会
  • 行政監視委員会
  • 沖縄・北方問題及び地方に関する特別委員会
  • 国際問題に関する調査会
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まとめ

伊勢崎賢治氏は、インドのスラム街での活動から始まり、アフリカ、東ティモール、シエラレオネ、アフガニスタンと、世界各地の紛争地で実際に武装解除を実現してきた「停戦実務家」です。

その豊富な経験と専門知識を持つ彼が、なぜれいわ新選組を選んだのか。それは、日本が「新しい戦前」に向かっているという危機感と、外交・対話による「避戦」を貫く政治姿勢に共鳴したからです。

現在、参議院議員として活躍する伊勢崎氏の今後の活動が、日本の安全保障政策にどのような影響を与えるのか、注目が集まっています。


参考リンク

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