東京大学法学部卒業、農林水産省のエリート官僚だった鈴木憲和議員が、なぜ山形県から政治家としてのキャリアをスタートさせたのか疑問に思う方は多いでしょう。本記事では、鈴木議員と山形の深い結びつき、そして地盤ゼロから5期連続当選を果たした背景について、解説します。
この記事でわかること
- 鈴木憲和議員が山形を選んだ決定的な理由
- 父親のルーツと幼少期から育まれた山形への思い
- 地盤ゼロから地元に根付いた活動の実態
鈴木憲和議員のプロフィール
まず基本情報を整理します。
- 氏名: 鈴木憲和(すずき のりかず)
- 生年月日: 1982年1月30日(43歳)
- 出身地: 東京都
- 学歴: 開成高等学校、東京大学法学部卒業
- 経歴: 農林水産省入省(2005年)→退官(2012年)
- 選挙区: 山形県第2区
- 当選回数: 5期(2012年初当選)
- 現職: 農林水産大臣(2025年10月21日就任)
- 居住地: 山形県南陽市
- 家族: 妻(弁護士)と息子2人
なぜ山形を選んだのか?決定的な3つの理由
理由1: 父親の故郷が山形県南陽市
鈴木憲和議員が山形を選んだ最大の理由は、父親の健司さんが山形県南陽市の出身だったことです。
父親は政治家ではなく一般の会社員でしたが、その故郷である南陽市が鈴木議員にとって特別な場所となりました。両親は政治的な地盤を持たない一般家庭であり、いわゆる「二世議員」ではありません。

鈴木議員は親から引き継いだ選挙地盤があったわけではなく、完全にゼロからのスタート!
理由2: 幼少期から育まれた山形への愛着
鈴木議員は東京で生まれ育ちましたが、幼い頃から夏休みや年末年始に父親の実家がある南陽市を訪れていました。
本人の公式サイトでは次のように語られています。
「父のふるさとは、子どものころから親しみがあった土地。自然や人の温かさに触れる中で『この土地に恩返しがしたい』と感じるようになりました」
都会で育ちながらも、地方の温かさや自然の豊かさに触れ、次第に山形への愛着を深めていったのです。この経験が後の政治家としての原点となりました。
理由3: 農業の現場から日本を変えたいという信念
農林水産省で7年間勤務する中で、鈴木議員は全国の農業現場を訪れる機会が多くありました。
その経験を通じて「努力している農家の人たちをもっと支えたい」「地方が良くならなければ、国が良くなるはずがない」という信念を抱くようになります。
2012年に農林水産省を退官し政治の道を選ぶ際、その思いを実現するために、農業が盛んで米どころとして知られる山形県を拠点に選んだのです。
山形2区とはどんな選挙区?
鈴木議員が立候補している山形2区は以下の地域で構成されています。
- 主な市: 米沢市、寒河江市、村山市、長井市、南陽市、尾花沢市
- 主な町村: 河北町、西川町、朝日町、大江町、大石田町、高畠町、川西町、小国町、白鷹町、飯豊町
山形県の中央部から南部にかけての広い地域で、農業が基幹産業となっています。特に米作りが盛んで、「つや姫」「はえぬき」などのブランド米の産地として知られています。
地盤ゼロからのスタート:2012年初当選まで
完全にゼロからの挑戦
2012年2月、鈴木議員は農林水産省を退官し、父の故郷である南陽市へ移住しました。
当時30歳。政治家の親族もおらず、地元に選挙基盤は一切ありませんでした。自民党山形県連の候補者公募に合格し、同年3月から本格的に政治活動を開始します。
現場第一主義で地域を回る
移住後、鈴木議員は徹底的に現場主義を貫きました。
- 一軒一軒を訪ね歩き、地域住民と直接対話
- 農家の声を丁寧に聞き取る
- 地域行事や農業イベントに積極的に参加
- 「都会出身だから」と距離を置かず、地元の人々の声に耳を傾ける

この誠実な姿勢が徐々に地元の信頼を獲得していきました。
2012年12月、民主党現職を破り初当選
2012年12月の第46回衆議院議員総選挙で、鈴木議員は民主党の現職議員を破り、見事に初当選を果たします。
地盤ゼロからわずか10ヶ月での快挙でした。この勝利は、短期間で地域に根ざした活動を展開し、有権者の支持を獲得した結果といえます。
山形での5期連続当選と地元での評価
安定した選挙基盤の確立
初当選以降、鈴木議員は山形2区で5期連続当選を果たしています。
- 2012年: 初当選(民主党現職を破る)
- 2014年: 再選(TPP問題で苦戦するも約7,000票差で勝利)
- 2017年: 3選(希望の党候補に比例復活すら許さず)
- 2021年: 4選(野党統一候補の国民民主党新人を破る)
- 2024年: 5選(自民党全体が議席を減らす中での当選)
特に2024年の衆院選では、自民党が大きく議席を減らす厳しい状況の中でも当選を果たしており、地元での信頼の厚さを示しています。
地元での高い評価
山形での活動について、地元からは以下のような評価が聞かれます。
「東京出身でありながら、完全に山形に根付いた政治家」「現場を大切にする姿勢が信頼できる」「農家の実情をよく理解している」
SNS上でも、鈴木議員に対しては「農業政策への理解が深い」「現場主義を貫いている」「真摯に地域の声を聞く」といった肯定的な意見が多く見られます。
山形での生活と家族
南陽市に完全移住
鈴木議員は2012年の移住以来、現在も山形県南陽市に居住しています。
妻は弁護士の坂栄鷹子さん(東京大学教育学部卒業、同じく農林水産省出身)で、2014年に結婚。2人の息子(2015年生まれと2018年生まれ)がおり、4人家族で山形での生活を送っています。

子供たちは地元の小学校に通っており、家族ぐるみで地域に溶け込んでいます。
「第二のふるさと」山形
鈴木議員は山形を「第二のふるさと」と語っており、公務に忙しい中でも家族との時間や地域との交流を大切にしています。
SNSでは子供たちとのエピソードや地域イベントへの参加の様子を投稿することもあり、家庭を大切にする父親としての一面も見せています。
「現場が第一」:鈴木議員の政治姿勢
座右の銘は「現場が第一」
鈴木議員の座右の銘は「現場が第一」です。
この姿勢は農林水産省時代から一貫しており、政治家となってからも変わりません。地元山形を頻繁に訪れ、農家や地域住民と直接対話する姿勢が高く評価されています。
2025年10月の農林水産大臣就任会見でも、この姿勢を明確にしています。
「農は国の基なり。現場が第一。農林水産省の全国2万人の職員と共に、現場を第一に活動していきます」
「米マニア」を自称
鈴木議員は自らを「米マニア」と称するほど、米作りと米政策に情熱を注いでいます。
趣味は「おいしいお米探し」で、米の輸出拡大や米粉の普及にも積極的に取り組んできました。農林水産副大臣時代には、米粉の普及を目指す省内横断プロジェクトチーム「米粉営業第二課(通称・コメニ)」に携わっていました。
TPP問題での「けじめ」エピソード
鈴木議員の政治姿勢を象徴するエピソードがあります。
2012年の初当選時、鈴木議員はTPP(環太平洋連携協定)反対を公約に掲げていました。しかし、2016年にTPP承認案の採決が行われた際、鈴木議員は投票を棄権しました。
この理由について鈴木議員は「TPP反対を訴えて初当選したことへの自分なりのけじめ」と説明しています。
党の方針と自身の公約との間で葛藤し、苦渋の選択をしたこのエピソードは、有権者との約束を重視する誠実な姿勢として受け止められています。
農林水産大臣としての活動
2025年10月、43歳で初入閣
2025年10月21日に発足した高市内閣で、鈴木議員は農林水産大臣として初入閣を果たしました。43歳という若さでの抜擢です。
農林水産省での官僚経験、農業政策への深い理解、そして米どころ山形での現場経験が評価されての起用とみられています。
取り組む主な課題
農林水産大臣として、以下のような課題に取り組んでいます。
- コメの価格高騰への対応
- 食料安全保障の強化
- 2027年度から始まる新たな水田政策の具体化
- 農業構造改革の推進
- 農家の所得向上支援
- 米の輸出拡大
特にコメ政策については、前任者の増産路線から方針を修正し、「需要に応じた生産が基本」という姿勢を示しています。供給過剰による米価暴落を防ぎ、需給バランスを重視する考え方です。
テレビ出演でも注目
2025年10月27日には、テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」に出演し、農業政策について語りました。
コメンテーターの玉川徹氏からの質問に対しても冷静かつ的確に回答し、「農政の知識が豊富」「過去の政策誤りも理解し今後の課題も展望もしっかり持っている」「仕事ができる」といった評価を集めました。
山形を選んで正解だったのか
地域に根ざした政治家として成長
鈴木議員が山形を選んだことは、結果的に大きな成功といえます。
地盤ゼロからスタートしながら、5期連続当選を果たし、ついには農林水産大臣にまで上り詰めました。東京でエリート官僚として順調なキャリアを歩むこともできたでしょうが、あえて地方に飛び込んだ選択が、現場主義の政治家としての強みとなったのです。
山形から日本を変える
鈴木議員の公式サイトには「日本を耕すために、まずは我が故郷・山形から」というメッセージが掲げられています。
山形での活動を通じて培った農業や地域振興への理解は、今後の国政運営においても強みとなります。特に、農業の持続可能性や若者の定住促進、地域経済の活性化といった課題に対し、山形をモデルケースとして全国に発信していくことが期待されています。
地方創生の象徴的存在
都会出身のエリートが地方に移住し、地域に根ざした活動を展開して国政の中枢まで上り詰めた鈴木議員のストーリーは、地方創生の象徴的な事例といえます。
「地方が良くならなければ、国が良くなるはずがない」という信念を持ち、実際に山形に移住して活動を続けた姿勢は、多くの人々に希望を与えています。
まとめ:父のルーツと地方への愛が原点
鈴木憲和議員が山形を選んだ理由について、重要なポイントをまとめます。
- 父親の故郷:父親の健司さんが山形県南陽市出身だったことが最大の理由
- 幼少期からの愛着:夏休みなどに訪れる中で山形の自然と人の温かさに触れた
- 農業への情熱:農林水産省での経験から、農業の現場から日本を変えたいと考えた
- 地盤ゼロからの挑戦:政治家の親族はおらず、完全にゼロからスタート
- 現場第一主義:一軒一軒訪ね歩き、地域住民との対話を重視
- 5期連続当選:誠実な活動が地元の信頼を獲得し、安定した支持基盤を確立
- 農林水産大臣へ:山形での経験が評価され、43歳で初入閣
東京出身のエリート官僚が、なぜ山形を選んだのか。その答えは、父親のルーツ、幼少期から育まれた地域への愛着、そして農業の現場から日本を変えたいという強い信念にありました。
地盤も知名度もない状態から、地道な活動で信頼を勝ち取り、ついには農林水産大臣にまで上り詰めた鈴木議員。その姿は、地方と真摯に向き合う政治家の理想像として、今後も注目され続けるでしょう。
「現場が第一」という座右の銘のもと、山形から日本の農業政策をリードする鈴木憲和農林水産大臣の今後の活躍に期待が高まっています。



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