元大阪都知事・橋下徹氏が維新の会をやめた理由は?大阪都構想についても解説

政治
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大阪都構想を掲げて一世を風靡した橋下徹氏は、維新の会を離れています。なぜ創設者が自らの党を離れる決断をしたのでしょうか。その経緯を詳しく解説します。

この記事でわかること

  • 橋下徹氏が維新の党を離党した具体的な時期と理由
  • 大阪都構想の住民投票否決後の政治的判断
  • その後の政治活動と現在の立場

橋下徹氏の維新離党の経緯

2015年8月の維新の党離党

橋下徹氏は2015年8月27日、松井一郎大阪府知事とともに「維新の党」を離党しました。この決断の背景には、複数の政治的な要因がありました。

離党の主な理由として、橋下氏は以下の点を挙げています。

  • 国政政党内での政策路線の違い
  • 安全保障法制への対応をめぐる党内対立
  • 大阪での地方政治に専念するための環境整備

当時の記者会見で橋下氏は「今は党を割るようなことはしない」としながらも、大阪府知事選挙と大阪市長選挙のダブル選挙に注力するため、国政政党からは距離を置く決断をしたと説明しました。

大阪都構想の住民投票否決が転機に

2015年5月17日に実施された大阪都構想の賛否を問う住民投票は、反対70万5585票、賛成69万4844票という僅差で否決されました。この結果を受けて、橋下氏は「負けは負け。説明しきれなかった自分自身の力不足」と総括し、かねてから公言していた政界引退を表明しました。

住民投票の否決は橋下氏にとって大きな転機となり、その後の政治活動の方向性を決定づける出来事となりました。

「おおさか維新の会」の結成

維新の党離党後、橋下氏は2015年10月2日に新党「おおさか維新の会」を結成し、初代代表に就任しました。この新党結成の背景には、国政政党「維新の党」との政策路線の違いがありました。

特に以下の点で対立がありました。

  • 民主党(当時)との連携姿勢
  • 労働者派遣法改正への対応
  • 野党再編の方向性

橋下氏は「偽物の維新の会から、本物のおおさか維新の会をつくり直す」と述べ、独自の改革路線を打ち出しました。

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政界引退と維新との関係

2015年12月の政界引退

橋下氏は2015年12月12日におおさか維新の会代表を退任し、法律政策顧問に就任しました。同月18日には大阪市長の任期を満了し、政界から引退しました。

政界引退後は弁護士・タレントとして活動を再開し、現在は情報番組のコメンテーターなどとして活躍しています。

日本維新の会法律顧問の辞任

政界引退後も橋下氏は維新との関係を一定程度維持していましたが、2017年10月26日には日本維新の会の法律顧問を辞任しました。

辞任理由として橋下氏は「大阪での大阪維新の活動を理解することなく、ふざけた物言いをする国会議員がいるところと付き合うと精神衛生上良くないので」とツイッターで表明しました。これは当時の丸山穂高衆院議員との対立が背景にありました。

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現在の橋下氏と維新の関係

橋下氏は2022年3月末に大阪維新の会の法律顧問との契約も解消し、現在は維新の会とは正式な関係を持っていません。

テレビ番組などでは維新の政策や活動について言及することもありますが、「僕は今、維新とはまったく関係ない」と明言しています。ただし、維新が自民党との連立を模索する動きについては「こんな、うれしいことはないです」と一定の評価を示すなど、完全に無関心というわけではないようです。

近年では、現在の維新執行部の「飲み食い政治」を批判するなど、創設者としての立場から厳しい意見を述べる場面も見られます。

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まとめ

橋下徹氏が維新の会を離れた理由は、大阪都構想の住民投票否決という政治的敗北と、国政政党内での政策路線の違いが主な要因でした。2015年8月に維新の党を離党し、同年10月に「おおさか維新の会」を結成するも、同年12月には政界を引退しました。

現在は政治家としての活動は行っていませんが、評論家として政治情勢について発言を続けています。維新の会の創設者として果たした役割は大きく、その後の日本の政治地図に一定の影響を与えたことは間違いありません。

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