佐々木勇気の学歴は?小学生で名人戦優勝した経歴も調査

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2024年3月にNHK杯トーナメントで初優勝を果たし、ますます注目を集めている佐々木勇気八段。

「藤井聡太を止めた男」として一躍有名になった佐々木八段ですが、小学生時代から輝かしい成績を残し、プロ棋士となってからも文武両道を貫いてきました。

今回は、佐々木勇気八段の学歴や小学生時代の将棋での活躍、そして生い立ちについて詳しくご紹介します。

天才的な才能を持ちながら、普通の学校生活も楽しんだ佐々木八段の素顔に迫ります。

佐々木勇気の学歴一覧

小学校: 三郷市立鷹野小学校(埼玉県三郷市)
中学校: 東京都立白鷗高等学校・附属中学校(東京都台東区)
高校: 東京都立白鷗高等学校(東京都台東区)
大学: 進学せず

白鷗高等学校公式サイト

佐々木八段は中学から東京都立白鷗高等学校・附属中学校に進学しました。この学校は東京都の公立高校として初めての中高一貫校であり、偏差値65前後の進学校として知られています。

伝統文化を積極的に取り入れている学校方針もあり、将棋に理解があることでも有名です。実際、佐々木八段の他にも多くの棋士がこの学校を卒業しています。

高校1年生でプロデビューを果たした佐々木八段ですが、「普通の高校生活を楽しみたい」という思いから、勉強と両立をして高校を卒業しました。都立高校生としてのプロデビューは史上初の快挙でした。

当時の日本将棋連盟会長で元東京都教育委員でもあった米長邦雄永世棋聖は、「伝統文化を積極的に取り入れている学校の在校生が棋士になったことは、都教委の勝利」とコメントし、大きな話題となりました。

大学については、16歳でプロ棋士になっていることもあり、進学はせずに将棋に専念する道を選んでいます。

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小学生時代の華々しい成績

佐々木勇気八段の将棋の才能が全国に知られるようになったのは、小学生時代の輝かしい戦績からです。

小学3年生:全国小学生倉敷王将戦優勝

2003年8月、三郷市立鷹野小学校3年生の時に、岡山県倉敷市で開催された第2回全国小学生倉敷王将戦の「低学年の部」に出場し、見事優勝を果たしました。この時点ですでに並外れた才能を示していたのです。

小学4年生:小学生将棋名人戦優勝

そして2004年4月29日、小学4年生の時に第29回公文杯小学生将棋名人戦(現・さなる杯小学生名人戦)で優勝しました。この優勝は佐々木八段の将棋人生における大きな転機となりました。

決勝戦の相手は、現在プロ棋士として活躍する菅井竜也八段でした。菅井八段も将来のタイトル獲得棋士となる才能の持ち主で、この決勝戦は後に「将来のプロ棋士同士の対決」として語り継がれることになります。

小学4年生での小学生将棋名人戦優勝は、1994年の渡辺明竜王(現名人)以来10年ぶり、史上2人目という最低学年記録でした。渡辺明名人もまた、佐々木八段と同じく16歳でプロ入りを果たした天才棋士です。

この優勝により、佐々木少年は将棋界から大きな注目を集めることになりました。小学生将棋名人戦は、プロ棋士への登竜門とも呼ばれており、過去の優勝者には羽生善治九段、渡辺明名人、鈴木大介九段など、そうそうたる棋士たちが名を連ねています。

奨励会入会と順調な昇級

小学4年生の2004年9月、佐々木少年は6級で奨励会に入会しました。奨励会とは、プロ棋士を目指す者が所属する養成機関です。

5級時代に一度、降級点を喫したものの、おおむね順調に昇級・昇段を重ねていきました。この時期、週5~6日は柏の将棋道場に通い、腕を磨いていたといいます。

小学生時代の佐々木少年は、マラソンやサッカーなどスポーツも大好きな活発な子どもでした。将棋だけでなく、外で遊ぶことも好きな普通の小学生の一面も持っていたのです。

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中学・高校時代:文武両道の日々

中学2年生で三段昇段

2008年4月、中学2年生の時に13歳8か月で三段への昇段を果たしました。これは当時、豊島将之九段を抜く史上最年少記録でした(後に藤井聡太八冠が中学1年生で三段となり、記録を更新)。

中学生での三段昇段は、プロ棋士になる可能性が極めて高いことを示すものであり、将来を嘱望される若手棋士の証でもありました。

部活動との両立

中学時代は陸上部、高校時代はバスケットボール部に所属していた佐々木八段。将棋一筋ではなく、学校生活も存分に楽しんでいました。

特にバスケへの情熱は強く、現在も日本将棋連盟のバスケ部部長を務めています。同じ白鷗高校出身で奨励会に在籍していた渡辺和史さんも、当時は昼休みに佐々木八段とバスケに興じる仲でした。

「普通の高校生活を楽しみたい」という思いから、プロ棋士になった後も高校を卒業まで通い続けた佐々木八段。将棋界では中卒や高校中退でプロに専念する棋士も珍しくない中、文武両道を貫いた姿勢は多くの人に親しみやすさを感じさせました。

16歳でプロ入り

2010年10月1日、第47回奨励会三段リーグで1位の成績(14勝4敗)を収め、四段昇段(プロ入り)を果たしました。当時高校1年生、16歳1か月でのプロデビューは、三段リーグ制導入以降では藤井聡太八冠(14歳2か月)、渡辺明名人(15歳11か月)に次ぐ史上3番目の年少記録です。

都立高校生としてのプロデビューは史上初の快挙であり、地元埼玉や通学先の東京で大きな話題となりました。

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将棋を始めたきっかけと家族の支え

中耳炎が人生を変えた

佐々木八段が将棋を始めたのは5歳の時でした。きっかけは意外なものでした。

水泳をしていて中耳炎を悪化させてしまい、約1週間入院した後、自宅療養が必要になったのです。外で遊ぶことが好きだった佐々木少年にとって、家の中にいなければならないのはつらい状況でした。

そこで母親が「室内で遊べるもの」として将棋セットを買ってきてくれました。実は当初、囲碁好きだった祖父は囲碁を勧めようとしていましたが、「幼児は碁石をチョコレートと間違えて誤飲する危険がある」という心配から、将棋が選ばれたという微笑ましいエピソードがあります。

もしこの時、母親が将棋セットを買ってこなければ、今日の佐々木勇気八段は存在しなかったかもしれません。人生とは本当に不思議なものです。

両親のサポート

佐々木八段の家族は、父親、母親、本人の3人家族です。両親は将棋の専門知識はありませんでしたが、息子の才能を早くから認め、適切なサポートをしてきました。

最初は父親を相手に将棋を指していた佐々木少年でしたが、すぐに父親では相手にならなくなってしまいました。そこで両親は、「ちゃんとしたところで教わったほうがいい」と判断し、将棋会館の子どもスクールに通わせるようになりました。

このような適切なタイミングでの判断が、佐々木八段の才能を開花させることにつながったのです。

母親は沖縄県出身で、佐々木八段は幼少期から何度も沖縄の母方の実家を訪れています。「沖縄はなじみがあり安らげる場所」と語っており、沖縄での将棋普及活動にも意欲を見せています。

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まとめ:天才棋士の文武両道人生

佐々木勇気八段の学歴と生い立ちを見てきましたが、小学生時代から輝かしい成績を残しながらも、普通の学校生活を楽しむことを大切にしてきた姿が印象的です。

小学3年生で全国小学生倉敷王将戦優勝、小学4年生で小学生将棋名人戦優勝と、早くから全国レベルで活躍。中学2年生で三段昇段、高校1年生でプロ入りという華々しい経歴を持ちながら、中学では陸上部、高校ではバスケ部に所属し、部活動も楽しんでいました。

三郷市立鷹野小学校から東京都立白鷗高等学校・附属中学校に進学し、高校まで卒業した佐々木八段。プロ棋士になっても学業と両立させる姿勢は、多くの若い将棋ファンの憧れとなっています。

2024年3月のNHK杯初優勝など、プロ棋士としても着実に実績を積み重ねている佐々木勇気八段。小学生時代から培ってきた才能と努力、そして家族の温かいサポートが、今日の活躍につながっています。

「藤井聡太を止めた男」として注目を集めましたが、独自の戦法「勇気流」の開発など、棋士としての実力は折り紙付きです。これからも将棋界を盛り上げる存在として、ますますの活躍が期待されます。

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