立憲民主党の杉尾秀哉参議院議員が、自民党の小野田紀美経済安保担当相への取材について発言したことで注目を集めています。
杉尾氏は「権力の側にいる者はチェックされるのが当たり前」と述べましたが、この発言に対して過去の報道姿勢を問う声が上がっています。
本記事では、杉尾氏とTBS時代の松本サリン事件報道との関係、そして長野県選挙区から出馬した経緯について詳しく解説します。
杉尾秀哉氏のプロフィールと経歴
杉尾秀哉氏は1957年9月30日、福岡県北九州市生まれの68歳です。
東京大学文学部社会学科を卒業後、1981年にTBSに記者職として入社しました。
報道局社会部記者、政治部記者を経て、1993年から「JNNニュースの森」のメインキャスターに就任。
その後、アメリカワシントン支局長、報道局社会部長、解説専門記者室長などを歴任しました。
2015年末にTBSを退社し、2016年の参議院選挙で長野県選挙区から立候補して初当選しています。
現在は立憲民主党所属の参議院議員として2期目を務めています。
松本サリン事件での報道問題とは
松本サリン事件は1994年6月27日、長野県松本市で発生したテロ事件です。
オウム真理教によって猛毒の神経ガス・サリンが散布され、死者8人、重軽傷者約600人という甚大な被害が出ました。
河野義行さんへの冤罪報道
事件の第一通報者である河野義行さんは、被害者であるにもかかわらず犯人扱いされました。
警察は事件翌日、河野さん宅を被疑者不詳の殺人容疑で家宅捜索し、実名を発表。
TBSを含む各メディアは、警察の捜査情報に基づいて河野さんを疑惑の人物として報道しました。
杉尾氏は当時「JNNニュースの森」のキャスターとして、河野さんを番組に呼び出し、生放送で犯人として決めつけるような質問を浴びせたとされています。
河野さんは番組の最後に「そういうふうにおっしゃって決めつけるんですね」と反論したと記録されています。
何が問題だったのか
この報道の問題点は、十分な裏付けのない段階で個人を犯人視したことです。
警察の捜査情報をそのまま報道し、推定有罪的な扱いをしました。
結果として、河野さんと家族は全国から誹謗中傷の手紙や脅迫状を受け取る二次被害に遭いました。
河野さんは「逮捕もされず、裁判も行われていないのに、一瞬にして犯人にされてしまった」と語っています。
真相の判明と名誉回復
1995年3月の地下鉄サリン事件発生後、松本サリン事件もオウム真理教の犯行と判明しました。
1995年6月、長野県警は正式に河野さんの事件への関与を否定しました。
事件から約1年後にようやく河野さんの名誉は回復されましたが、その間の苦痛は計り知れません。
河野さんの妻・澄子さんはサリン中毒で意識不明となり、14年間の闘病の末2008年に亡くなりました。
TBSビデオ問題との関連
杉尾氏は松本サリン事件だけでなく、TBSビデオ問題にも関わっていたとされています。
1989年、TBSのワイドショースタッフが坂本堤弁護士のインタビュー映像をオウム真理教幹部に見せました。
この9日後に坂本弁護士一家殺害事件が発生。TBSスタッフの行為が事件のきっかけになったのではないかと批判されました。
1995年、日本テレビがこの問題をスクープ報道した際、杉尾氏はキャスターとしてTBSの完全否定の声明を読み上げました。
しかし5か月後、オウム幹部の公判でTBSがオウム真理教幹部にビデオを見せた事実が明らかになり、TBSは渋々これを認めました。
この一連の対応は、報道機関としての信頼を大きく損なう結果となりました。
今回の小野田議員への発言との矛盾
2024年10月、杉尾氏は小野田紀美議員が週刊新潮の取材を「迷惑行為」と抗議したことに異を唱えました。
「権力の側にいる者はチェックされるのが当たり前」と主張しています。
しかしSNS上では、松本サリン事件での報道姿勢との矛盾を指摘する声が多数上がりました。
「行き過ぎた取材」の被害者を生んだ過去と、「報道の自由」を主張する現在の立場の整合性が問われています。
国民民主党の榛葉賀津也幹事長も、2025年3月に杉尾氏を暗に批判しました。
「松本サリン事件では第一通報者が犯人扱いされた報道があった。メディア人からすると慙愧に絶えない事案だと思う」と発言しています。
なぜ長野県選挙区から出馬したのか
杉尾氏が長野県選挙区から出馬した背景には、いくつかの要因があります。
民主党の候補者選定の経緯
2015年、公職選挙法改正により長野県選挙区の定数が4から2に削減され、改選数が1となり、いわゆる「一人区」となったことが考えられます。
当時の民主党長野県連は、改選期を迎える北澤俊美氏の後継候補選びに難航していましたが、2015年12月、全国的な知名度を持つ杉尾氏に白羽の矢が立ちました。
2016年2月25日、民主党、共産党、社民党の野党3党が杉尾氏への一本化を正式決定し、一人区での勝利を目指し、野党間で候補者一本化が進められました。
長野県との具体的な接点
杉尾氏の長野県との接点については、報道取材で長野県を訪れた経験があります。
特に松本サリン事件の取材で長野県内を訪れていたとのこと。
また一部情報では、軽井沢町に別荘を所有していたとも言われています。
ただし、地元出身ではなく「よそ者」という批判も一部にはあったようです。
2016年参院選の結果
2016年7月10日の第24回参議院議員通常選挙で、杉尾氏は激戦を制して初当選しました。
得票数は約57万4000票で、自民党の若林健太氏らを破りました。
全国的な知名度と野党統一候補としての支援が勝因となりました。
2022年の参院選でも再選を果たし、現在2期目を務めています。
杉尾氏の現在の政治活動
杉尾氏は国会で歴代総理との質疑を重ね、政府への追及姿勢を見せています。
立憲民主党では機関紙局長、副幹事長などを歴任しました。
2024年9月には、次の内閣「ネクスト内閣府統括・防災・国家公安委員会担当大臣」に就任しています。
主な政策姿勢としては、憲法改正反対、原発の将来的廃止などを掲げています。
まとめ:報道倫理と政治家の責任
杉尾秀哉氏の事例は、報道の自由と取材倫理のバランスの重要性を示しています。
松本サリン事件での報道は、裏付け不十分な段階での犯人視報道の危険性を教訓として残しました。
河野義行さんは被害者でありながら冤罪の被害まで受け、妻を14年間の闘病の末に亡くしました。
一方で「権力チェック」を主張する杉尾氏の現在の立場と、過去の報道姿勢の整合性については議論が続いています。
メディア出身の政治家として、報道被害の重さを誰よりも理解しているはずだという指摘もあります。
長野県選挙区からの出馬については、野党統一候補として擁立された経緯が背景にあります。
松本サリン事件の舞台となった長野県から選出された議員として、その責任は重いと言えるでしょう。
報道の自由は民主主義の根幹ですが、それは慎重な事実確認と人権への配慮があって初めて成り立つものです。
私たち一人ひとりも、情報を受け取る際には冷静な判断が求められています。



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